◆山梨県甲斐市・信玄堤
◆山梨県下人口第2位の都市、甲斐市誕生。

甲斐市は甲府盆地の中西部に位置し、地理的な条件や日常の生活圏が隣接するため古くから様々な面で交流が盛んだった旧敷島町、旧双葉町、旧竜王町の3町の合併により、平成16年9月1日に誕生しました。
甲府盆地の北西部を流れる釜無川の左岸に広がる地域で、南部は住宅地と農地が混在する平坦な市街化地域、北部は豊かな森林資源や自然景観を有する中山間地域と、異なった二つの顔を持っています。
度重なる釜無川の氾濫と、氾濫を鎮める人間の知恵と努力が肥沃な土壌を生んだ南部地域は、住宅地としてばかりでなく、今でも豊かな農作物を育くむ一方、情報技術系の産業集積地である「竜王赤坂ソフトパーク」が立地し、今後の発展が期待されています。また北部の森林地域は昇仙峡などの景勝地を有し、自然条件を利用した果樹栽培やワイン醸造なども行われ、沢沿いや谷筋などに形成された集落群とあわせて観光地としての特性も有し、南部・北部両地ともに、甲府盆地の文化・産業・歴史上重要な地域になります。
緑豊かな自然環境との調和を図りながら、活力にあふれ、穏やかで人にやさしいまちであるとともに、甲府盆地の新たな発展をリードする「緑と活力あふれる生活快適都市」

◆信玄堤堤絵図

信玄堤は武田信玄が氾濫を繰り返す釜無川(富士川)から甲府盆地一帯を守るために、長年にわたる歳月と独特な治水方法により、永禄3年(1560)までに完成した堤防です。本図は信玄堤の模様を示す見取り図で、文政7年(1824)当時の規模を記録するために作成された絵図です。和紙4枚を継いで用い、描法は要領よく現地の地形を表しています。全体に濃墨線の中に淡彩を施して立体感を表現しており、描写は絵画性に富んでいます。現在は、明治時代中期以降の大改修により堤防の形態も変わってますが、江戸時代末期の信玄堤の状態が判明する貴重な歴史資料です。
◆現在の信玄堤を見る

 山梨県内は言うに及ばず武田氏が支配の図版を広げた領域の中部地方、関東地方にも信玄堤と称している堤防があると聞いております。しかし、世に信玄堤として最も知られているのは甲斐市竜王にある信玄堤です。竜王地先の信玄堤は現在も治水の役目を担って洪水の氾濫から甲府盆地を譲ってくれています。竜王の鼻から続く丘陵が釜無川と接している部分は高さが20〜30mの懸崖となっています。
信玄堤の「出し」の先端より高岩を望む
現在は、コンクリート三基構とコンクリート練石張も施工されている
信玄堤は人々の憩の場にもなっている
この懸崖は「高岩」と呼ばれていますが、実はこの自然の地物も信玄公の治水策の中に組み込まれて重要な役目を果 たしているのです。さて、現在の信玄堤は信玄公が築造した当時のままでは有りませんが、かなり甲州流河除の技法を踏襲していると思われます。現在、竜王の信玄堤を構成している治水構造物、自然の地物を分類して紹介しますと、堤防・出し・出し水制・縦列の水制・護岸・根固・堤防の狭間に植栽されている竹木・それから自然の地物である「高岩」等です。では、図一4を参照しながら説明しましょう。
 1の堤防は河川の距離杭でK-186の左岸の狐招塚の辺りで山に取付き、下流に向かって築造されています。その前面 に堤防とほぼ平行して2「出し」が造られていて、一番上流の「出し」はK-187で山付きとなり下流へ400m延び、次の3「出し」はK-184で堤防に取付き下流へ400m延び、その次の4の「出し」はK-182付近でやはり堤防に取付き下流へ1,300mほど延びています。この区間は本堤と「出し」の二重構造となり、「出し」の下流端の5が開口しています。つまり、甲州流河除の「雁行」の築堤法が採用されているのです。
 堤防や出しの表側には6の玉石張りの護岸が施工され、堤防の表法先の前面 には、洪水時等に洗掘されないようにコンクリート製の「根固」が7に敷設してあります。しかし、普段は見えません。
 堤防の前面の水が流れる所の8には「聖牛(せいぎゅう・又はひじりうし)」等の縦列の水制が設置してあります。また堤防が山付となっているさらに上流の「高岩」に取付ける形で、9亀甲形の「出し水制」が造られています。「出し」や「聖牛」等の水制も甲州流河除の特徴とされるものです。現在も信玄公の知恵が生かされているのです。
 竜王の信玄堤を遠目からも燦然として見せているのは10の欅を主とする水防林です。幾百年かの星霜に耐え堤防を守り、流木や土砂の攻勢を防いでくれて来たのです。欅の林は春も夏も私も、そして冬も素晴らしい景観を呈してくれます。  堤防の狭間は河川環境整備事業で芝を植栽し、水辺もあり釜無川に親しみ、信玄堤を楽しむたくさんの人々が訪れます。
◆聖牛(せいぎゅう)
洪水の流れを弱める為に考えられた古い河川工法の一つで、戦国時代の甲州が発祥の地といわれている。全体のシルエットと上の部分が牛の角のように見えるために、このような名前がついたといわれている。「聖」の意味ははっきりはしないが、現代でいうスーパーとかウルトラなどという意味だろうといわれている。
◆竜王用水
「信玄堤」のあるこの付近は甲府盆地を洪水から守る重要な地点ですが、竜王地区の田畑への用水を取るためにも重要な地点でした。
昔の人は、いろいろ苦心をして御勅使川と釜無川の洪水の流れを高岩にあてて洪水の勢いを弱めていました。また、高岩に川の流れを集めることは、普通の時に高岩地点で川の水を取りやすくなります。江戸時代の絵図では高岩の前に集まった釜無川の水をトンネルを開けて取り入れていることがわかります。
ここから取った川の水は竜王用水と呼ばれます。この竜王用水を守るためには地域の人々の大変な努力があり、信玄堤が築かれて以来、甲府盆地の竜王地区を潤す用水として、現在も大切な役割を果たしています。
(看板資料より)
Live Camera 「信玄堤」
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